VP-49は、第二次大戦末期の1944年に西海岸アラメダ海軍航空基地で誕生したVP-19の流れをくむ飛行隊らしく、PBM-3Dマリナ―飛行艇を運用して、ハワイのカネオヘに進出してウェーク島方面等で日本の潜水艦のハンターキラー任務でも活躍した部隊だそうである。戦後は、VP-49と部隊名を変え、バミューダ地域に移動となり、世界初の原潜ノーチラス号の試験航海などをサポートしている。
VP-49は、1962年10月~11月までの期間、キューバ危機の際のキューバ封鎖の為の哨戒活動に従事し、1964年2月にパクトセントリバー海軍基地にVP-49の新本拠地を移している。但し NASバミューダに主力を置いて活動していたようで、この年にP-3Aオライオン哨戒機を受領開始した。また 1964年10月~11月にかけてスペイン沿岸でアメリカ海軍と海兵隊が実施した当時最大規模の水陸両用上陸演習”スティール・パイク作戦”におきても、VP-8やVP-44と共に演習でのASW任務を実施している。この演習は、ジョン・S・マケイン中将(息子は大統領候補になったベトナム戦での英雄)とジェームス・バークレイ中将(硫黄島攻略作戦を指揮)が指揮をし、艦艇84隻 人員28000人が参加した大きな演習だったそうである。1970年に当時最新型のP-3Cに換装し、1970年から1972年にかけては、アイスランドのケフラビックに駐留して、北海周辺のASW任務に就いている。
↑ 1978年9月 フロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-49のP-3C/Bu.No.158568。Modexは、斜文字ではなく、右側面のバブルウィンドー下のインシグニアは、ウッドペッカーの新インシグニアが添付されている。
↑ 尾翼が見えないが、白い電光に”1”の数字が入っている機体であるようだ。
(1946~1991)
↑ VP-49のP-3A時代の二代目マーキングで、初代のダークブルー塗装時代から尾翼に付けていた白い電光を継承していた。P-3A/LP-11/Bu.No.150522
↑ 1968年頃から厚木に飛来するVP-49のP-3Aに見られるようになった電光の上にサーファーするようなウッドペッカーの漫画が入るようになった。当時の~^写真が無いので、色は想像でつけている。P-3A/LP-1/Bu.No.151356
↑ 1985年5月にジャクソンビルで撮影されたVP-49のP-3C/LP-2/Bu.No.157319。機首のバブルウィンドー下のインシグニアは、旧来のタイプに替っている。1985年にまだこの部隊にはロービジの波が来ていなかったとは驚きである。
↑ 1979年11月 フロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-49のP-3C/LP-6//BU.No.158929とLP-7/Bu.No.158920。この年のModexは、6番も7番も斜文字となっている。上下の写真を見て頂くと判るとおり、ウッドペッカーのデザインも2種類あるのだ。
↑ オランダの古い友人パウル・ファン・オルス氏が送ってくれたVP-49のP-3Cで、LP-1だがロービジの為、ビューアル・ナンバーは不明である。しかし尾翼にはウッドペッカーのシルエットが書かれており、しかも機首を見るとスキッパー機であろうと思われ、これだけでこの時代は充分満足できる被写体であった。
↑ 1965年 White Bearさんが夏休みを利用して初めて厚木基地へ行った際に撮影されたVP-49のP-3A/LP-3/Bu.No.150526。White Bearさんが相鉄線相模大塚を降りて、線路沿いに歩いて撮影ポイントを探されている内に、森林に阻まれて道が行き止まりになった所で、爆音が聞こえ夢中で撮影されたP-3Aだったそうで、恐らくR/W19の大和駅よりの方向から捉えた写真だと推測される。ご覧の通り機首にトーテンポールの様なマーキングが入っており、興味深い。それにしても厚木初日に大西洋方面の哨戒部隊が撮影できたとは幸運な方である。この機体はご存知の通り、後にUP-3Aに改造され、厚木にも時々飛来する機体となった。
P-3C/LP-1/Bu.No.157319
P-3C/LP-9/Bu.No.158568